ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

無関心が全体主義を許してしまうとニーメラーが言った事になっているが、自分が嫌悪している勢力が弾圧を受けているとき味方になって抗議できるかを問うているのだ。  

"Als die Nazis die Kommunisten holten....." 
ナチスが共産主義者をつかまえたとき


Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr,
der protestieren konnte.


【雑感】上記の「詩」はルター派のマルティン・ニーメラー牧師(余談1)の作である。近頃の不穏な社会情勢を反映してか、ネット上でしばしば見かけるようになった。日本語訳を書き下してみよう。

ナチスが最初共産主義者を捕まえた時、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを捕まえた時、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を捕まえた時
私のために抗議する者は、誰一人残っていなかった


 訳によっては、「捕まえる」を「攻撃する」と意訳したり、最後の一文を「彼らが私の目の前に来た時、手遅れだった」と詩的でマイルドな訳にしている場合もあるが、私は原文に沿った生々しい日本語に訳すべきかなと思う。

 これに共感する者は大勢いると思う。しかし、実際にこの問題に直面した時、果たしてこの教訓が活かせる事ができるかどうか疑問に思っている。
 この詩を書いたニーメラー氏はもともと保守系の市民でヒトラー支持者だった。第一次大戦時の若い頃は海軍のUボート艦長を務め、退役してからは神学を学びドイツでは右派の人間だった。彼にとっては共産主義者などはむしろ敵対勢力である。
 日本に例えたら、戦時中は海軍士官として活躍し戦後は神社の神職を勤めながら自民党を応援するようなタイプの市民で、共産主義者は嫌悪の対象であろう。

 ところが、ナチスが教会にまで干渉を始めた時、やっと権力に対して抵抗するようになったのだが既に遅し、権力に抵抗する勢力はあらかた潰されていて味方になってくれる者はいなかった。
 後にニーメラー氏はその事を自戒し詩に込めた。ただ残念な事にこの詩の本当の真意を理解する市民はどれだけいるだろうか?

 現日本の反体制勢力の主流は共産主義やフェミニストや護憲派と呼ばれている勢力だから、この詩で描かれている弾圧の対象となった人々が自分たちに近い立場ゆえ解ったような気になるだろうが、それは違う。
 もう一度言うが、ニーメラー氏の本来の立ち位置は保守右翼だった。だから自分と敵対関係にある共産主義者が弾圧されても無関心どころか当然の事と思った可能性がある。保守派から見れば共産主義者は限りなく犯罪者に近い存在なのだ。しかも戦前のドイツでは第一次世界大戦に負けたのは戦争中なのに革命(内乱)を起こした国内左翼勢力のせい、と思い込む人が多かった。
 だからこそ共産主義者を批難してきたヒトラーをニーメラー氏は一時期支持したのだ。この点を理解しないと、彼の真意は解らない。


 これに描かれている共産主義者をポルノメディア関係者にすり替えたらどうなるのか? たとえばフェミニストたちはポルノメディアに味方するだろうか? 自分たちにとって不愉快な言動をする者や対立する言動の人間が権力から弾圧されている時、味方して抗議してくれるだろうか?

 例えばヨーロッパ在住の護憲派の女性と児童ポルノ問題で口論した事がある。私も規制自体は必要だと思っているが、児童の概念と性描写の概念が曖昧のままで規制すると際限なく規制の対象が広がってしまう恐れがある。しかも法律が運用されるのは、日ごろ彼女が批判を繰り出している安倍政権下である。ジャーナリズムへの介入を公言している籾井氏や百田氏を重用する政権だ。
 私は昨今の右派市民が差別用語を逆手にとって「はだしのゲン」などが公立図書館や学校図書室からの排斥を展開している例をあげて、「不安ではないのか?」と質問した。その問いに対して彼女は意外な答えを返してきた。しかも私の癇に障る答えである。
 「差別用語と児童ポルノの問題は別の話、お話にならない」

 別の話といえば別の話だが、規制する側はいずれも彼女が目の敵にしている政権なのである。「お話にならない」とはとんでもない事だ。私が彼女の立場なら「リスクは承知しているが、被害児童が多すぎるので規制を優先せざるを得ない」ぐらいの事は言った。お話にならないなどと突き放しはしない。
 ポルノメディアから規制を始めるのは権力の古典的常套手段である。広範囲の市民の支持を得やすく、弾圧への応用も利く手段である事は自明、だから慎重にならねばならない。
 彼女は日ごろは聡明な言動だったのだが、たぶん、私の表現の自由論やポルノメディアは癇に障ったのだろう。ほどなく彼女はTwitter上で私へのフォローを止め、日数を置いてからブロックしてきた。自分のTweetが私の目に留まる事も嫌になったようである。
 こんな事をされると、日ごろの彼女の博愛的主張や言動が眉唾に聞こえる。(余談2)

 ニーメラー氏にとっても共産主義者の存在は癇に障るものだったはず。だからナチスの政策を受け入れた。社会民主主義者も労組活動家も、快くは思っていなかったはずだ。ゆえにヒトラーの政策を支持した。
 ヒトラーが宗教界をも管理下に置こうとした時、慌てて反ナチに転向したが手遅れだった。

 言論と表現の自由、民主主義の理念、それは自分にとって不愉快な存在も許容できるかどうかなのだが、それと同じ事がいえる。
 殆どの人間は理屈では解っていても感情では受け入れられない。その困難さがニーメラー氏の詩が教えてくれる。後になってから気がついても遅いのだが、多くは気が付かない。何故なら他人事とか無関心ではなく、粛清されてしかるべきと思っているからだ。

(余談1)フリードリヒ・グスタフ・エミール・マルティン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller)
 ノルトライン=ヴェストファーレン出身。若い頃はドイツ海軍に入り第一次世界大戦時はUボートの艦長を務めた。退役後は牧師になり、当初は保守系市民としてヒトラーを支持していたが、ヒトラーの宗教介入に態度を硬化させ反ナチに転向、第二次大戦時は拘束され収容所に入れられる。
 からくもホロコーストを免れ大戦後を生き延びてからは反戦反核平和運動に身を投じる。

(余談2)彼女は以前に無制限の多言語表示を主張し、私が言う「隣国の言語に留めて程々に」に対して「反論」を吹いた事があった。
 私ごときに向かってブロックをするようでは心許ない。

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