「ベルリン・オブ・ザ・デッド」 カップルで泣きたい時に〔29〕
低予算映画として完璧。
【原題】Rammbock
【英題】SIEGE OF THE DEAD
【公開年】2010年 【制作国】独逸 【時間】62分
【監督】マーヴィン・クレン
【制作】
【原作】
【音楽】マルコ・ドレコッター シュテファン・ヴィル
【脚本】ベンジャミン・ヘスラー
【言語】ドイツ語
【出演】ミヒャエル・フイト(ミヒャエル) テオ・トレブス(ハーパー) アンドレアス・シュレーダース(Ulf) カタリーナ・リヴィルス(Semra) Anka Graczyk(Gabi) Emily Cox(Anita)
【成分】パニック 不気味 切ない 恐怖 悲しい 絶望的 ゾンビ 失恋劇
【特徴】ドイツ産ゾンビ映画。下手をすればイギリスの「コリン」に匹敵する低予算ぶりと文学的完成度の高さである。惜しむらくは、邦題が安っぽいアメリカB級ゾンビ映画のようなタイトルにされている点か。
アメリカ産のゾンビ映画に見られるような自動小銃の乱射は皆無。ゾンビに襲われた人はただひたすら逃げ惑うだけ。日本の日常で同様のシチュエーションが発生したら同様の光景になりそうなところにアメリカのゾンビ映画には無い親近感とリアリティがある。
主人公も容姿端麗の俳優ではなく、頭が薄くなりかけた小太りの地味な中年男性。ヒロインも中年のやや小太りの女性であるところに現実味がある。
【効能】現実にゾンビ現象が発生した時のシミュレーションになる。
【副作用】ベタな展開と救いようの無いラストに暗い気持ちになる。
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ありふれた日常から地獄絵図へ
極めて完成度の高いゾンビ映画である。
通常の作品ならば若いイケメン俳優を主演にあてるが、この作品は頭髪が薄くなった小太り中年男性が主人公だ。世間の感覚では容姿端麗とは言いがたい。これが説得力を与える。
実は背格好風貌が酷似した友人がいるのだ。まるで彼の物語を観ているかのような錯覚すら起こしてしまう。私の友人はもっと陽気な人だが女性に対しては奥手で、あのようなシチュエーションになったら全く同じ行動をとってしまいそうだ。
日本の俳優に例えるならば、高橋克実氏が温水洋一氏のようなキャラを演じている。
舞台はベルリン都心部にある古い団地に限定している。ロの字型の中層団地で棟に囲まれた中央に共有広場がある。このつくりが閉鎖された空間を上手く演出していた。
ゾンビ映画を観た後、多くのファンは反射的にシミュレーションをしてしまうと思う。エレベーターに乗ったら、思わず天井の送風口を眺めながら「ここから脱出するかないか」とか、団地の窓を眺めながら「ベランダにバリケードをつくらないといけないか」「斜向かいの棟の住人とは拡声器でやりとりするか、ボードで字を書いてコミュニケーションしようかな」とか「壁は安普請だから数体のゾンビが体当たりしたら侵入されちゃう」とか、仕事中に旋盤で削り出した品物を1メートルのノギスで測るとき「ゾンビが襲ってきたらこのノギスをこん棒に使えるな」とか。
何気ない日常の風景から妄想をめぐらすゾンビ映画ファンはきっと多いと思う。そんな妄想が現実に起こったら・・、そんな事を楽しませてくれるのが本作の内容だ。
なにしろアメリカのゾンビ映画には必ず自動小銃や拳銃があり圧倒的攻撃力で数に勝るゾンビを撃退して活路を開いていくのだが、日本ではせいぜい包丁か野球のバットでしか応戦できず、アメリカでさえ銃で武装しても辛くも脱出なのに、日本では間違いなく餌食にされる。せいぜい、納戸や天袋にの天井裏に逃げ込んで息を潜めることしかできない。
本作の登場人物たちも天井裏や屋上に逃げることしかできない。「コリン」でさえも手榴弾や強力パチンコ玉などが登場するが、このドイツ映画に登場する市民は武装解除された日本の丸腰市民と同じである。だからリアリティを感じる。
厳密にはゾンビという訳ではなく、原因不明の感染症で、血液や唾液を媒介する体液感染、感染してもすぐに発症ではなくアドレナリンの分泌が加わって発症なので、他のゾンビ映画と違い精神安定剤を服用すれば発症を食い止められる。
しかし一度発症してしまうと顔面の蒼白化と眼球の白濁化がが起こり腐敗し始めた死体のような風体になって意識が混濁し狂暴になり、死ぬまで人を襲い続ける。発症すると治癒はできない。
そして狂犬病発症者が水をみて痙攣したり、破傷風患者が音で痙攣するように、ゾンビになった者はフラッシュ等強力な光に弱い。
この設定も理に適っていて無理がなく、これが突破口になる。
主人公はどちらかといえば陰気で大人しい、日本でいえばオタク青年のような雰囲気。最近になって振られた彼女にアパートの鍵を返しにベルリンを訪れる。鍵を返すという口実で彼女に会い、よりを戻したい算段のようだ。そこでゾンビ騒動に巻き込まれる。ありふれた都心部のアパートの前の日常が冒頭なのだが、既に遠くから喧騒と何かが壊れる大きな音がする。
ゾンビ初遭遇は元カノの家。元カノは不在で配管工のオッチャンがなにやら工事しているのだが身体の具合が悪いのか様子がおかしい。そこへケビン・ベーコン似のイケメン配管工見習の少年がやってきたとき、オッチャンはゾンビ化して襲い掛かる。
辛くも主人公と少年はゾンビを撃退するが、既に中央の広場では大勢のゾンビが侵入して地獄絵図。生き残ったアパートの住人は各々部屋に閉じこもり孤立する。
当初はテレビでニュースを見る事ができたが、やがて試験放送の映像ばかりになり、ラジオでは感染症の予防方法をエンドレステープで流すのみ。屋上に出ると、街は機能を停止し各地でボヤが発生。ベルリン市や連邦政府も頼りにできないことが伝わる。
閉鎖された空間で、同じ団地の生存者との共闘といさかいなどが1時間程度の尺で無理なく詰め込まれている。また主人公や元カノが美男美女ではない事がより親近感と説得力を与えていた。ハリウッド映画では考えられないリアリティ。
ラストが圧巻である。住民の裏切りでゾンビに腕を噛まれ感染した主人公は、配管工見習の少年とその彼女を脱出させた後、自らはアパートに残って最期の時を待つ。
そこへ感染発症した元カノがやってくる。襲い掛かろうと走ってくる元カノ、覚悟を決めた主人公は元カノを愛おしく抱きしめる。そのとき元カノは主人公に噛みつくのではなく僅かに残った意識を取り戻し「放せ!」と最期の叫びをあげる。
BGMはモーツァルトの「レクイエム」、なんとも切なくて希望の無いラストだ。(余談1)
ただ、それだけでは観客が納得しないと考慮したのか、配管工見習のイケメン少年とその彼女の美少女は無事にボートに乗り込み脱出する。
ゾンビ映画の醍醐味は、いかに限られた僅かな予算で完成度を高めるかである。アメリカなどでは脚本の稚拙さとか演出の稚拙さが目立つものが多いのだが、この映画には低予算臭さを微塵も感じさせない重厚なドラマがある。
無理に話を盛り込まずに尺を1時間弱にしたのも成功だ。
(余談1)ドイツ語圏のオーストリアの音楽家モーツァルトのレクイエムがBGMとは気が利いているし物語やイメージとのマッチングも最高だ。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆☆ 秀
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 名作



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コメント
そうなんです
全く同感です。
だからより感情移入できますね。
アメリカのは面白いけど、自動小銃や拳銃を持ち出すので銃規制が厳しい日本ではフィクションの世界と割り切り過ぎてしまうのです。
集合住宅のシーンは、私も団地に住んでいますので、日ごろの妄想が実写化したような感じです。
主人公が元カノの着ぐるみを寝袋がわりに着る場面も、ダイレクトに琴線に触れます。あれをイケメンのアカ抜けた俳優がやっても説得力がありません。
> こんばんは。
>
> 私もその妙にリアルなキャストの皆さんがとても気に入った映画でした(二軒隣くらいにこんな人おるなあ、みたいな感覚とでも言いますか(ーー;))
>
> 派手さはないけどけっこう楽しんでしまいましたね。
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私もその妙にリアルなキャストの皆さんがとても気に入った映画でした(二軒隣くらいにこんな人おるなあ、みたいな感覚とでも言いますか(ーー;))
派手さはないけどけっこう楽しんでしまいましたね。