文科副大臣 組体操の教育効果を主張
国による規制は不要 「ヤンキー先生」という呼び名で知られる義家弘介氏が、文部科学副大臣の立場で、組体操事故の問題について持論を展開した。(内田良)【雑感】小学校低学年のころ、6年生たちの
組立体操に羨望の目で眺めていた。当時、お正月番組であった「スターかくし芸大会」を観るのに近い感覚である。
低学年・中学年の演目は、ハッキリ言って保育園の運動会の踊りと大差はない。ところが6年生の
組立体操や鼓笛隊はどこか玄人肌で見応えがある。だからこそ、運動会の華であり続けた。伝統文化といっても良い。
6年生になって、当然のことながら自分もやらされる訳なのだが、当初は「自分にできるんだろうか?」と不安になっていても、教師らの指導でできるようになっていく。私は大柄な児童だったので当然のことながらピラミッドの一番下の段を担当するのだが、上から圧し掛かる重力を分散させるコツなどを教わり、ピラミッドを崩す際の身体の動かし方などを反復練習するうちにできるようになる。
だから一部批判者が言うほど
組立体操が無意味とは思わない。運動会の華であり伝統芸であるので、廃止してしまうと運動会の面白さは激減する。また
難しいと思っていた事が成し遂げられた瞬間の成功体験はかけがいのないもので、これはリスクがあればあるほど成功した体験は後々の人生に良い影響を与える。
暴論かも知れないが、リスクを完全排除した簡単で安全な演目では成功体験は感じられない。 では昨今の十段ピラミッドを容認するのか?と問われれば、十段の問題よりも指導する教師側の認識の甘さを指摘したい。反対者は批判する対象を間違えている。
耐えられる荷重には限界がある。中学生や高校生にもなってくると巨大な肉の塊だ。生徒全員が体育会系で日頃から身体を鍛錬しているのであればまだしも、体格は良くても文科系で特に筋力を鍛えている訳ではない人も多いだろう。食生活が乱れて平均的な少年少女よりも骨格が弱い人もいるかもしれない。
リスクが大きければ大きいほど、指導する側のリスク管理も重要になってくる。十段ピラミッドは挑戦するに値する演目だが、数週間あるいは数か月前からの準備期間で、1日1時間程度の体育の授業だけでやらしていたのであれば大馬鹿だ。 リスクが大きければ大きいほど、準備期間も鍛錬する時間も必要になる。成功に向けて生徒一人一人も食事や睡眠時間などを徹底管理し、生徒全員が一丸となって十段ピラミッドに耐えられる強靭な肉体へと改造をしていかなければならない。
そこまでになると、果たして運動会の1種目のために生徒の貴重な教育時間を使って良いのか? という問題が当然浮上する。
組立体操を成功させるためだけに学校に通っているのではないのだ。
その是々非々は生徒と教師と保護者の三者で議論して決定すべきだろう。 そういう意味で、
反対派は安易に国家の権力を頼って規制させようなどと考えるべきではない。国が運動会の1種目にまで口出しする機会を与えては、それが前例となって様々な事柄にまで国が関与できるようになってしまう恐れがある。まわりまわって民主主義を自らの浅はかな了見で葬り去ってしまうきっかけにもなりかねない。 これは大袈裟ではなく、僅かな決壊で大洪水となるのと同じで、1つの前例を認めることでなし崩しに秩序が壊れる。それは昨今の政治状況を観れば明らかだ。
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