喫煙シーン映画、「成人向け」に
WHO勧告 世界保健機関(WHO)は1日、喫煙シーンのある映画やドラマについて、若者を喫煙に誘導する効果が高いと指摘する報告書を発表し、「成人向け」に指定する措置を各国政府が講じるよう勧告した。(読売新聞)【雑感】私は嫌煙派ではあるが、同時に「表現の自由」真理教の信徒でもあるので、今回の
WHOの勧告には少なからず不快感がある。
こういった規制を許すと、次はアルコール規制派がロビー活動で公的機関を動かし、酒を飲む場面がある映画は「成人指定」にしろと言い出すのに決まっている。 なんでもそうだが、規制する側にとっては「ささやかな願い」であっても、そういった「ささやかな願い」が何百何千と集まって全て実現されたら、おそらく息が詰まる超管理社会になってしまうだろう。
だから規制という形ではなく、嫌煙がカッコいいと思わす映画制作の奨励をするのが
WHOの務めだと思う。
仮に規制が実現されてしまうと、「一般作品」が「成人指定」にされるので対象とされる観客人口が最初から制約されるため、大ヒットでもしない限り観客動員数が桁違いに下がる危険性がある。
制作者側はそのリスクを恐れて煙草が登場しない映画をつくる事になるのだが、そうなってくると煙草が世界に普及する以前の世界、すなわち15・6世紀以前の世界を舞台にした時代劇か、煙草が無くなっているであろう未来世界や、学校を舞台にした青春モノとか、病院を舞台にした医療モノなどに限定されていく。
無理して近現代を舞台にしたドラマや映画を制作すると、葉巻を咥えないギャングのボスや安煙草を咥えない昭和の労働者を登場せざるを得ず、これではリアリティが無い上に政策のために時代考証を捻じ曲げて良いのかという懸念が生じる。(余談1)
井伏鱒二の「黒い雨」にもあった。教科書に載せる宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」に「一日ニ玄米四合ト」という一節を、4合は今の時代(食糧難の戦中もしくは終戦直後)では多いからもっと少ない量に書き換える事に主人公たちが不信感を抱くくだりがあった。
WHOがやろうとしている事は、それと五十歩百歩だ。
煙草だけでも表現で様々な制約が生じてしまう。しかし世の中には煙草以外にも不満を持つ人間は大勢いる。性描写は昔から言われてきた。暴力シーン規制のおかげで「ポパイ」などのアニメが観れなくなった。差別用語や女性蔑視などなど、数え上げたらキリが無い。
そして表現規制を強化して、世の中はマシになったのか? ポパイを発禁にしてアメリカから暴力が一掃されたか? 聞こえてくるのはDVや銃の乱射ではないか。韓国は日本よりも遥かに性描写の規制が厳しいが、レイプ発生件数は日本の人口との比率で考えたら桁違いに多い。
表現の自由が犠牲にされるに見合った効果が上がるのか疑問だ。言葉狩りと同じで、発生源を論じずに上っ面だけを正そうとする限り、問題は解決するどころか地下に潜って陰湿化する。息苦しい超規制社会になった割には不健康と暴力ばかりが蔓延する世の中では笑い話にもならない。(余談1)いつも葉巻を咥えているゲバラやカストロもアウトだ。ソダーバーグ監督の名作「チェ」二部作が成人映画になってしまう。
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