田代まさし氏覚せい剤語る
誰にでも「起こり得る」 覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕された元プロ野球選手清原和博容疑者(48)について、元タレント田代まさし氏(59)がコメントした。
清原容疑者の逮捕は社会にも大きな衝撃を与えた。田代氏は「ニュースを見て、覚せい剤をやったことない人には、別の世界のことかもしれない。でも誰も依存症になりたくてなったわけじゃない。誰にでも、出合い頭の事故みたいに起こり得ること」と、訴えた。つらいことがいくつも重なった時、近くに覚せい剤を都合できる人間がいたら-。「そういう時、『使ったら、田代みたいになっちゃうんだ』と思ってもらえたら、俺は幸せです」と語った。(日刊スポーツ)【雑感】今回の
清原騒動で久し振りに
田代まさし氏が登場した。一時期はまだ50代なのに70過ぎのお爺さんのようになっていたが、今の映像では頬の肌艶や張りは以前の若さを取り戻していて、還暦前にしては若々しい顔になっていることから薬はやっていない事を窺わせられる。
結局、経験者の警鐘が最も適確という事だ。
コメンテーターや評論家の発言の中には未だに「意志が弱い」とか「根性が無い」とかいう輩がいる。「週刊誌で大騒ぎになった時、止めるチャンスだったはずなのに。だらしない」という発言に至っては薬物中毒に対して無知蒙昧である事を暴露している。
百歩譲って、薬を始めた初期の頃は「意志が弱い」と批判しても間違いではない。しかし一度始めてしまったらもはや意志の力は薬で消されてしまうのだ。
何故なら、薬はダイレクトに脳神経に作用する。
語弊を恐れずに言うと、薬によって脳味噌が改造されてしまうからだ。脳や神経の細胞が薬を求める覚醒剤人間に改造されてしまったと思ったほうが良い。だから止めたいと思う意志を司る脳味噌が薬によって封じられているので、個人の努力ではどうしようもない。再犯率が高いのはこのためだ。
清原和博に再犯をさせないためにも、結審して刑期を終えたら、球界は彼を完全支配下に置き日常生活の些細な事まで監視下に置かなければならない。依存症は天寿を全うするまで続くと心得ねばならない。
これまで球界は
清原和博でさんざん儲けさせてもらったではないか。球界の英雄が再犯を繰り返し落ちぶれていく様を見たいのか? それが嫌なら彼を支配下監視下に置いて一生涯面倒を見てやれ。彼を反面教師にして選手たちの引き締めをはかれ。
コメンテーターや評論家や、それから市井の善良な市民諸君、「意志が弱い」と言い続けている限り、喜ぶのは薬の売人たちだと思え。そんな事を言っている限りこの手の犯罪は増える一方である。
売人の手口もあの手この手だ。
清原和博君の場合は心の弱さや隙間を突かれたかもしれないが、脱法ハーブのように違法性を薄めて販路を広げる場合が社会問題化した事は記憶に新しい。
少し洞察力を働かせたら連想できるはずだ。堅気の御洒落なセールスマンの振りをして、覚醒剤をエナジードリンクや強壮剤と称して売る事も考えられるし、そんな売人も大勢いるだろう。といった事を何故みんなは想像できないのか?
田代氏の発言「
誰にでも、出合い頭の事故みたいに起こり得ること」という言葉を軽く見るべきではない。田代を氏を馬鹿にする人間こそ、覚醒剤依存症の予備群と心得ろ!
最後に不謹慎な冗談を言う。覚醒剤取締法違反で逮捕されたのが品行方正キャラで体罰反対論者の桑田真澄氏のほうで、清原がいつものヤクザ装束で記者団の前に立ち、肩を揺らして記者たちを威嚇しながら、言葉は神妙に「小姑みたいに言い過ぎて、彼から絶縁されたんです。殴ってでも彼を問いただせばよかった」という展開なら絵になった。
チンピラみたいに周囲を威圧する清原君が覚醒剤とは、そのまんまの平凡でつまらん展開だ。世間は一見すると蜂の巣を突いた騒ぎだが、ファンでもない多くの人間は「なんだやっぱりそうか」と内心は思っているだろう。
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