高市総務相、電波停止に言及
公平欠ける放送に「判断」 高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。(朝日新聞デジタル)【雑感】ちっくとアメリカかぶれのマイルド右翼のお姉様と思ったら、いつの間にやら言論弾圧をほのめかすほどの権力オバチャンにおなりで、
高市早苗総務相閣下。
「公平性」なんて、誰が判定して処分するのか? 時の権力者が掌握する行政府がジャッジする。その行政府が公平である保証はあるのか?
保証できないから司法・立法・行政の三権に分立して三竦み(さんすくみ)で牽制し合うシステムにしているのではないか。国王ら特権階級の判断だけでは公平性が保てないから民主主義が生まれ、民選議員で構成される議会を設けたのではないか。さらに三権分立と民主主義だけでは公平性が保てないから、権力の監視機関としての枠割を担うジャーナリズムが生まれたのではないか。
残念ながら人間は利害関係の影響下から逃れられない。自分が正しいと感じるものは大概は自分の利益に叶うものであり、自分にとって不利益なものは不当なものと認識しやすい。これは本能だ。
物理的にあり得ない話だが、仮に100%性善説に合致した政権があるのであれば、別に三権分立は必要ないし民主主義にする必要も無い。性善の王様に全て任せたほうが合理的だ。そんな事ありえないから民主主義がありジャーナリズムがあり三権分立があるのだ。 つまり何が言いたいのかというと、産経新聞が「公平」に考えればアベノミクスやTPPが正しいとなるし、朝日や毎日が「公平」に考えればアベノミクスやTPPは亡国だ。価値観が違えば善悪の基準も違う。真に公平中立なんぞ物理的に不可能なのだ。
では公平な社会を維持するにはどうすればいいのか、左翼がよく言う多様性社会の維持だ。食べ物を偏食したら病気になるのと同じで、情報が偏ると視野狭窄に陥る。様々な立場の放送局を許容する事が公平性を保つ事につながる。
日本のマスコミが朝日や毎日や赤旗で埋め尽くされてもいかんし産経や読売に埋め尽くされても困る。どのチャンネル回しても「報道ステーション」や「サンデーモーニング」ばかりでも護憲的綺麗事すぎるし「NEWS ZERO」や「新報道2001」ばかりでも自民批判が少な過ぎる。
所詮、人は自分の立ち位置からの視点しか持てないし持とうとしない。ただ、公共放送の場合は見たくなくても目に入る機会がある。ならば様々な政治的立場の公共放送を許容して、世の中には様々な視点があることを国民が知る機会ぐらいは確保しておかなければ、かえって社会の公平性が損なわれる。
何故なら、政府や権力者が「公平」を努めて判定したとしても、そこには必ず政府や権力者の利害関係を反映した主観が混在する。程度の差はあれ政府にとって不都合な放送が「公平性を欠」いているように見えてしまうのは推して知るべしなのだ。
社会の公平性を守るためには、政府の言論介入を許してはならない。高市氏も寛容な言論界の恩恵を受けて現在の地位を築いてきたではないか。
ブログランキングに参加しています。
- 関連記事
-
スポンサーサイト