「帰ってきたヒトラー 」 ヒトラーがコメディアンとして甦った! 【原題】 ER IST WIEDER DA
【英題】 LOOK WHO'S BACK
【公開年】 2015年
【制作国】 独逸
【時間】 131分
【監督】 デヴィット・ヴェント
【制作】 【原作】 ティムール・ヴェルメシュ 【音楽】 エニス・ロトフ
【脚本】 デヴィット・ヴェント
【言語】 ドイツ語
【出演】 オリヴァー・マスッチ(アドルフ・ヒトラー) ファビアン・ブッシュ(ファビアン・ザヴァツキ) フランツィスカ・ウルフ(フランツィスカ・クレマイヤー)
【成分】 コミカル 不気味 恐怖
【特徴】 自殺したはずのヒトラーが現代ドイツにタイムスリップして甦り、コメディアンとして大活躍。
数年前、ドイツの言論界でブレイクした小説の映画化。
【効能】 社会問題の暗部への神経が研ぎ澄まされる。
【副作用】 ナチズムに傾倒する。
下の【続きを読む】 をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。 記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
無難な形への映画化に逃げたか。 昨年、同好の士から本作を紹介され是非みたい作品の一つだった。数年前に原作本の日本語訳が出版されていたので先にそれを読み、面白さで夢中になった。
昨年暮れにドイツへ行く機会があり、上映している映画館がないか探してみたが、既に時機を逸していたようだ。留学している姪っ子(正確には従姪)のドイツ人の彼氏に映画の評判を聞いてみた。ネイティブ並みに流暢な日本語を操る彼氏は「良い映画ですよ。私は観ていませんが」となんとも含みのある返事だった。
さて本題に入ろう。結論から言うと「無難な形に逃げた映画化」だった。原作は風刺の効いた良質のコメディであり、映画の方も原作に沿った展開で物語が進んでいくのだが、後半から次第に原作路線から脱線していく。
1945年、ソ連軍に攻囲されたヒトラーは自殺をする。ところが死なずに目覚めてしまう。目覚めたのは70年近く経った現代のベルリンである。(余談1)
現代に無傷で甦ったヒトラーは自殺した時の記憶が無く、頭痛(拳銃で頭を撃った)に悩まされガソリン臭い外套(死後、部下たちが遺体にガソリンをかけ焼却)を着ている事に戸惑い、激変しているベルリンの街並みにパニックを起こす。
親切なキヨスクの店員に助けられ、体調を回復させ冷静さを取り戻したヒトラーは70年近くもの未来にタイムスリップした信じがたい「事実」を受け入れ理解する。
たまたま知り合ったテレビ番組のディレクターと組んで新番組を制作、YouTubeで人気者になりやがて自分の冠番組を持つコメディアンとしてブレイクする。
ここまでは原作と同じなのだが、映画の方はラスト近くで主人公ヒトラーをやや強引な演出で悪魔的に描いた。
原作では物語の主人公であるヒトラーの視点で展開で終始する。まるでヒトラーの著作「我が闘争」の続編であるかのようだ。ヒトラーの目線で現代ドイツへの戸惑いだけでなく、現代でも変わらずナチズムが跋扈するベースが庶民感情にある事や、現代のナチズムはヒトラーでさえも首を傾げるカルトであることなども風刺している。
映画も途中までは同じなのだが、佳境から視点が主人公のヒトラーからテレビディレクターのザヴァツキに変わる。
ヒトラーにとってディレクターのザヴァツキは盟友だった。原作ではヒトラーとの友情は壊れることなく続き、ヒトラー担当マネージャーのクレマイヤーと結婚して子供をもうけ幸せな新婚生活に入る。しかもネオナチに襲われ重傷を負ったヒトラーを見舞ってクリスマスパーティーに誘い、遠慮するヒトラーに「あなたは家族みたいなものですから」と親密である。
ところが映画のザヴァツキは次第に「こいつはコメディアンではなくホンモノではないか」と疑念を抱くようになり、ついに本物のヒトラーである決定的な証拠を掴んでしまう。
ヒトラーのこれ以上の活躍を阻止するべく動くのだが、周囲は精神疾患に罹ったと見なして精神病院に入れてしまい、そんな彼に涙する恋人のクレマイヤーが痛々しく病室の外で立ちつくす。
ヒトラーは現代ドイツ社会で着々と成功をおさめ、パートナーをザヴァツキからテレビ会社の全権を握ったベリーニ女史に変えて精力的に行脚する。その描写の仕方が悪魔的オカルト的だ。
思うに、制作陣は原作通りの映画化を断念したのではないかと思う。原作通りに描いてしまうと、ヒトラーはおかしな考え方だが憎めない根は良い人にしか見えないのである。
実際のヒトラーも、ユダヤ人や敵対者に対して容赦なく冷酷であり、閣僚や将軍たちにもパワハラを容赦なくする人だが、女性や下位の部下には気さくで優しい人間だった。
原作本もそんなヒトラーを忠実に再現して現代ドイツではどんな行動をするかをシミュレーションした訳だが、映画化となると書籍よりインパクトが強く物語の細部や内面まで読み取らずに、パッと見のイメージしか受け取ってもらえない可能性がある。
現に「ヒトラー 最期の十二日間」(余談2)でもヒトラーのリアル描写がユダヤ人団体の不興をかった。被害者であるユダヤ人にとってヒトラーは怪物であり、「人間的」に描く事さえ許せないのである。
制作陣は意識してヒトラーをステレオタイプの悪役に描かざるを得なかった。
(余談1)奇しくもドイツ国内で上映した時期を同じくして日本でも同様のネタの作品が深夜枠ドラマで放送されている。こちらは錦戸亮氏主演の「サムライせんせい」、幕末勤王の士武市半平太が切腹直前に現代日本にタイムスリップをして騒動を巻き起こすコメディだ。
現代人との感覚や習慣や価値観の違いに戸惑いあちこちでトラブルを引き起こす武市に対して、一足早く現代にタイムスリップした坂本龍馬は完全に現代日本に溶け込みノートパソコンを片手にルポライターとして活躍している対比が面白い。
(余談2)本作にもパロディ部分がある。 プロデューサーが部下からの悪い報せに頭を抱える場面で、「ヒトラー 最期の十二日間」にある地下防空壕会議室でヒトラーがヒステリーを起こして部下たちを叱責する場面をパロっている。
デスクについているプロデューサーの後ろ姿とプロデューサーの前で立っている部下たちの構図が「ヒトラー・・」と全く同じなので、判る人はこの構図を観ただけで笑い出す。
月からナチスの残党が侵略してくる「アイアン・スカイ」でも同様の場面で同じパロディーがあった。
VIDEO 晴雨堂スタンダード評価 ☆☆☆☆ 晴雨堂マニアック評価 ☆☆ ブログランキングに参加しています。
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無難な形への映画化に逃げたか。 昨年、同好の士から本作を紹介され是非みたい作品の一つだった。数年前に原作本の日本語訳が出版されていたので先にそれを読み、面白さで夢中になった。
昨年暮れにドイツへ行く機会があり、上映している映画館がないか探してみたが、既に時機を逸していたようだ。留学している姪っ子(正確には従姪)のドイツ人の彼氏に映画の評判を聞いてみた。ネイティブ並みに流暢な日本語を操る彼氏は「良い映画ですよ。私は観ていませんが」となんとも含みのある返事だった。
さて本題に入ろう。結論から言うと「無難な形に逃げた映画化」だった。原作は風刺の効いた良質のコメディであり、映画の方も原作に沿った展開で物語が進んでいくのだが、後半から次第に原作路線から脱線していく。
1945年、ソ連軍に攻囲されたヒトラーは自殺をする。ところが死なずに目覚めてしまう。目覚めたのは70年近く経った現代のベルリンである。(余談1)
現代に無傷で甦ったヒトラーは自殺した時の記憶が無く、頭痛(拳銃で頭を撃った)に悩まされガソリン臭い外套(死後、部下たちが遺体にガソリンをかけ焼却)を着ている事に戸惑い、激変しているベルリンの街並みにパニックを起こす。
親切なキヨスクの店員に助けられ、体調を回復させ冷静さを取り戻したヒトラーは70年近くもの未来にタイムスリップした信じがたい「事実」を受け入れ理解する。
たまたま知り合ったテレビ番組のディレクターと組んで新番組を制作、YouTubeで人気者になりやがて自分の冠番組を持つコメディアンとしてブレイクする。
ここまでは原作と同じなのだが、映画の方はラスト近くで主人公ヒトラーをやや強引な演出で悪魔的に描いた。
原作では物語の主人公であるヒトラーの視点で展開で終始する。まるでヒトラーの著作「我が闘争」の続編であるかのようだ。ヒトラーの目線で現代ドイツへの戸惑いだけでなく、現代でも変わらずナチズムが跋扈するベースが庶民感情にある事や、現代のナチズムはヒトラーでさえも首を傾げるカルトであることなども風刺している。
映画も途中までは同じなのだが、佳境から視点が主人公のヒトラーからテレビディレクターのザヴァツキに変わる。
ヒトラーにとってディレクターのザヴァツキは盟友だった。原作ではヒトラーとの友情は壊れることなく続き、ヒトラー担当マネージャーのクレマイヤーと結婚して子供をもうけ幸せな新婚生活に入る。しかもネオナチに襲われ重傷を負ったヒトラーを見舞ってクリスマスパーティーに誘い、遠慮するヒトラーに「あなたは家族みたいなものですから」と親密である。
ところが映画のザヴァツキは次第に「こいつはコメディアンではなくホンモノではないか」と疑念を抱くようになり、ついに本物のヒトラーである決定的な証拠を掴んでしまう。
ヒトラーのこれ以上の活躍を阻止するべく動くのだが、周囲は精神疾患に罹ったと見なして精神病院に入れてしまい、そんな彼に涙する恋人のクレマイヤーが痛々しく病室の外で立ちつくす。
ヒトラーは現代ドイツ社会で着々と成功をおさめ、パートナーをザヴァツキからテレビ会社の全権を握ったベリーニ女史に変えて精力的に行脚する。その描写の仕方が悪魔的オカルト的だ。
思うに、制作陣は原作通りの映画化を断念したのではないかと思う。原作通りに描いてしまうと、ヒトラーはおかしな考え方だが憎めない根は良い人にしか見えないのである。
実際のヒトラーも、ユダヤ人や敵対者に対して容赦なく冷酷であり、閣僚や将軍たちにもパワハラを容赦なくする人だが、女性や下位の部下には気さくで優しい人間だった。
原作本もそんなヒトラーを忠実に再現して現代ドイツではどんな行動をするかをシミュレーションした訳だが、映画化となると書籍よりインパクトが強く物語の細部や内面まで読み取らずに、パッと見のイメージしか受け取ってもらえない可能性がある。
現に「ヒトラー 最期の十二日間」(余談2)でもヒトラーのリアル描写がユダヤ人団体の不興をかった。被害者であるユダヤ人にとってヒトラーは怪物であり、「人間的」に描く事さえ許せないのである。
制作陣は意識してヒトラーをステレオタイプの悪役に描かざるを得なかった。
(余談1)奇しくもドイツ国内で上映した時期を同じくして日本でも同様のネタの作品が深夜枠ドラマで放送されている。こちらは錦戸亮氏主演の「サムライせんせい」、幕末勤王の士武市半平太が切腹直前に現代日本にタイムスリップをして騒動を巻き起こすコメディだ。
現代人との感覚や習慣や価値観の違いに戸惑いあちこちでトラブルを引き起こす武市に対して、一足早く現代にタイムスリップした坂本龍馬は完全に現代日本に溶け込みノートパソコンを片手にルポライターとして活躍している対比が面白い。
(余談2)本作にもパロディ部分がある。 プロデューサーが部下からの悪い報せに頭を抱える場面で、「ヒトラー 最期の十二日間」にある地下防空壕会議室でヒトラーがヒステリーを起こして部下たちを叱責する場面をパロっている。
デスクについているプロデューサーの後ろ姿とプロデューサーの前で立っている部下たちの構図が「ヒトラー・・」と全く同じなので、判る人はこの構図を観ただけで笑い出す。
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