「もののけ姫」 ナウシカのリメイクか? 【英題】PRINCESS MONONOKE
【公開年】1997年
【制作国】日本国
【時間】135分
【監督】宮崎駿 【原作】宮崎駿 【音楽】久石譲
【脚本】宮崎駿 【出演】松田洋治(
アシタカ)
石田ゆり子(
サン/カヤ) 田中裕子(
エボシ御前) 小林薫(ジコ坊) 西村雅彦(甲六) 上條恒彦(ゴンザ) 島本須美(トキ) 渡辺哲(山犬) 佐藤允(タタリ神(ナゴの守)) 名古屋章(牛飼いの長) 美輪明宏(モロの君) 森光子(ヒイさま) 森繁久彌(乙事主/エミシの長老) 飯沼彗(病者の長) 近藤芳正(牛飼い) 坂本あきら(牛飼い/使者) 斉藤志郎(牛飼い) 菅原大吉(牛飼い) 冷泉公裕(牛飼い/ジバシリ) 山本道子(病者) 飯沼希歩(エミシの少女) 得丸伸二(雑兵/石火矢衆) 中村彰男(雑兵/牛飼い) 香月弥生(キヨ) 塚本景子(タタラ踏み) 杉浦一恵(タタラ踏み) 山本郁子(タタラ踏み)
【成分】悲しい ファンタジー スペクタクル ロマンチック パニック 不気味 恐怖 勇敢 知的 絶望的 切ない かわいい かっこいい 室町時代後期?
【特徴】人物設定や相関関係は殆ど「
ナウシカ」と同じである。巨大文明崩壊後の未来から日本の室町時代に舞台を変えた格好である。原作を強引にアニメ映画化した「
ナウシカ」と違い、これは完成度が高い。
手描きセル画で制作したアニメの最高峰でもある。
【効能】環境保護に目覚める。大自然への畏怖がよみがえる。
【副作用】話が尻切れトンボのようで納得できず不快感。どことなく説教臭い。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
ナウシカの完成形 公開された当時、友人たちの間では「
ナウシカ」のリメイクではないかと噂し合った。まず、テーマが酷似している。自然への畏怖と環境問題がテーマになっているようだ。次にストーリー展開も似通っている。そして登場人物の相関図は殆ど同じである。本編の主人公
アシタカはペジテのアスベル、
もののけ姫は
ナウシカ(余談1)、
エボシ御前は
クシャナ王女、ゴンザはクロトワ参謀、シシ神などの森の神々は巨神兵や玉蟲に該当する。
作品の完成度としては、断然「
ナウシカ」より「
もののけ姫」のほうが優れている。まず目を惹いたのは作画である。今はPCで作画を処理しているが、この作品までは昔ながらのセルに絵の具を塗り重ねカメラに撮る方法だ。詳しい数字は忘れたがセル画の枚数も尋常ではない。
宮崎駿氏が当時「最後の作品」と発言したそうだが、それに相応しい美しさだ。
ストーリーの構成も、「
ナウシカ」では壮大な長編漫画を2時間枠のアニメ映画に無理やり押し込んだために、残念ながらテーマとキャラクターの矮小化(余談2)がなされていた。その点「
もののけ姫」では最初から2時間強の映画として企画され組み立てられたものなので抵抗はない。
舞台設定も「
ナウシカ」なら腐海や玉蟲など空想世界の説明が必要だが、「
もののけ姫」では架空の世界とはいえ一応日本がモデルとなった舞台だ。室町時代後期の設定のようだが、この時代というのは「日本むかし話」でよく取り上げられる馴染みある時代であり森の神々の説明もあまり必要ではない。日本人にとって呑み込み易い世界である。
物語の締め方は、まさに「ナウシカ」連載終了を経たならではのものだろう。原作を読んだ方々の多くが指摘していることに、前半と後半とでは物語の展開が異なっていて、前期はまだ米ソの対立と核戦争による最終戦争が背景になっていたが、後期はソ連崩壊と社会主義への無邪気な夢と憧憬が崩れ、世界中で頻発する民族・宗教の対立と殺し合いによる人間社会への幻滅が影響している。
「
もののけ姫」では災難は一応去ったし、
サンと
アシタカは分かり合えハッピーエンドにはなった。しかし朝廷は存在するし、朝廷とつながりのある師匠連も存在する。
エボシ御前は
アシタカや山犬に恩義を感じ一から出直すことを決意するが、戦国の世である限り領民を守るため政策転換するとは思えない。
サンと
アシタカは分かり合え信頼しあうようにはなったが、あくまで
サンは
アシタカを受け入れただけで人間社会は拒み続ける。そして
アシタカは家族がいるエミシへ戻るか、
エボシ御前の下で働くか、まだ定まっていないが
サンと一緒に山犬たちと暮らす可能性は薄いだろう。
サンとアシタカの関係はかなり距離を置いた友情となる。その友情はアシタカの身の振り方で簡単に崩れる。
一見するとハッピーエンドだが、映画「ナウシカ」で見せた楽観的なハッピーエンドではない。
(余談1)「ナウシカ」の原作を読んでいる人なら御存知だろうが、
宮崎駿氏は日本の古典に登場する化粧をしない活発で野性的な女の子にインスピレーションを感じナウシカを考えたそうだ。
「
もののけ姫」の
サンの頬の模様はたぶん刺青のようだが、人間社会ではなく狼の群れで生きることを選択する。対立するキャラとして洒落た和服にマントを羽織った
エボシ御前、唇には紅がついている。
(余談2)原作を読んでいない人は気にならないだろうが。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆☆ 秀
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作【受賞】第1回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞 第52回毎日映画コンクール日本映画大賞 第21回日本アカデミー賞最優秀作品賞
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ナウシカの完成形 公開された当時、友人たちの間では「
ナウシカ」のリメイクではないかと噂し合った。まず、テーマが酷似している。自然への畏怖と環境問題がテーマになっているようだ。次にストーリー展開も似通っている。そして登場人物の相関図は殆ど同じである。本編の主人公
アシタカはペジテのアスベル、
もののけ姫は
ナウシカ(余談1)、
エボシ御前は
クシャナ王女、ゴンザはクロトワ参謀、シシ神などの森の神々は巨神兵や玉蟲に該当する。
作品の完成度としては、断然「
ナウシカ」より「
もののけ姫」のほうが優れている。まず目を惹いたのは作画である。今はPCで作画を処理しているが、この作品までは昔ながらのセルに絵の具を塗り重ねカメラに撮る方法だ。詳しい数字は忘れたがセル画の枚数も尋常ではない。
宮崎駿氏が当時「最後の作品」と発言したそうだが、それに相応しい美しさだ。
ストーリーの構成も、「
ナウシカ」では壮大な長編漫画を2時間枠のアニメ映画に無理やり押し込んだために、残念ながらテーマとキャラクターの矮小化(余談2)がなされていた。その点「
もののけ姫」では最初から2時間強の映画として企画され組み立てられたものなので抵抗はない。
舞台設定も「
ナウシカ」なら腐海や玉蟲など空想世界の説明が必要だが、「
もののけ姫」では架空の世界とはいえ一応日本がモデルとなった舞台だ。室町時代後期の設定のようだが、この時代というのは「日本むかし話」でよく取り上げられる馴染みある時代であり森の神々の説明もあまり必要ではない。日本人にとって呑み込み易い世界である。
物語の締め方は、まさに「ナウシカ」連載終了を経たならではのものだろう。原作を読んだ方々の多くが指摘していることに、前半と後半とでは物語の展開が異なっていて、前期はまだ米ソの対立と核戦争による最終戦争が背景になっていたが、後期はソ連崩壊と社会主義への無邪気な夢と憧憬が崩れ、世界中で頻発する民族・宗教の対立と殺し合いによる人間社会への幻滅が影響している。
「
もののけ姫」では災難は一応去ったし、
サンと
アシタカは分かり合えハッピーエンドにはなった。しかし朝廷は存在するし、朝廷とつながりのある師匠連も存在する。
エボシ御前は
アシタカや山犬に恩義を感じ一から出直すことを決意するが、戦国の世である限り領民を守るため政策転換するとは思えない。
サンと
アシタカは分かり合え信頼しあうようにはなったが、あくまで
サンは
アシタカを受け入れただけで人間社会は拒み続ける。そして
アシタカは家族がいるエミシへ戻るか、
エボシ御前の下で働くか、まだ定まっていないが
サンと一緒に山犬たちと暮らす可能性は薄いだろう。
サンとアシタカの関係はかなり距離を置いた友情となる。その友情はアシタカの身の振り方で簡単に崩れる。
一見するとハッピーエンドだが、映画「ナウシカ」で見せた楽観的なハッピーエンドではない。
(余談1)「ナウシカ」の原作を読んでいる人なら御存知だろうが、
宮崎駿氏は日本の古典に登場する化粧をしない活発で野性的な女の子にインスピレーションを感じナウシカを考えたそうだ。
「
もののけ姫」の
サンの頬の模様はたぶん刺青のようだが、人間社会ではなく狼の群れで生きることを選択する。対立するキャラとして洒落た和服にマントを羽織った
エボシ御前、唇には紅がついている。
(余談2)原作を読んでいない人は気にならないだろうが。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆☆ 秀
晴雨堂マニアック評価
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