ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

表現の自由とは(20) 柴田英里氏のtweetをめぐる紛糾について。ヘイトスピーチをめぐる見解の相違 相違を認めずに異論者を短兵急に否定してはいかんだろう。 近頃の現象[一二七六] 

見解の相違を認めずに 
異論者を否定というのは、
全体主義者と
同種の精神状態ではなかろうか。
(毎度のことながらTwitterは議論に向かない)


【雑感】たまたまTwitter上でこんなやり取りを見かけた。その一部を以下紹介する。

佐藤剛裕氏
え?「ヘイトスピーチには、それを表現の自由として認めるに足るだけの背景がある」というのがあなたの主張ですよね?

柴田英里
そんな主張していませんよ。複雑な背景があろうがなかろうがヘイトスピーチする自由があり、それを批判する自由もあるが、ヘイトスピーチを法的に規制するのは自由権の侵害であるという主張です。

Ikuo Gonoï‏氏
現代美術家が「ヘイトスピーチする自由」を主張している。完全な表現の自由とは、殺人や暴力など他者への加害も含む、自然権の自由行使状態を指す。ヘイトスピーチは加害行為であり、他者の自由も奪い社会も壊す。アートの名の下に「表現の自由」を振りかざせば何でもできるとの発想はただの中二病だ。

柴田英里
うーん。“アートの名の下に「表現の自由」を振りかざせば何でもできる”なんて思ったことも言ったこともないのだけれど。なんでこう、「自分が思ったことが真実であり正しい」という認識になるのだろう?

青野忠彦氏
柴田英里氏の一連の発言を見て思ったのは、氏が言うような表現の自由に関する言説がそれなりに有効であると信じられてた時代がかつてあったって事。でも表現の自由に関しては今確実に新しいフェイズに移行してるんだと思う。それに全く気付けていない鈍感さを晒している感じ。要するに古くてダサい。

青野忠彦氏
インターネットがここまで普及してくると、表現者が表現の自由について鈍感である事が直接的にマイノリティの存在を脅かしてしまうの。それに気付けないの表現者としてかなりやばいですよ。あんたが恥かくのは構わないけど、マイノリティを危険に晒すなよ。


 以上、目に付いた柴田英里氏の主張とそれへの反対論の代表的なモノを列挙してみた。

 私の見解を話そう。
 「表現の自由」は民主主義社会にとって欠かす事の出来ないアイテムなのだが、実は私のような庶民にとっては直接生活に影響するものではない。
 言論と表現の自由は国家権力の暴走を抑止するための第四権力を市民側が保持する云々の話はあるが、残念な事に我々庶民は学校や部活や会社などの不可解で無意味な規則に縛られてきたので不自由に我慢する事に慣れている。三度の飯と安定した社会が確保されるのであれば「表現の自由」が無くても我慢するのが庶民である。
 だからこそ、ヒトラーは三権を独占できた。ヒトラーは演説と暴力だけでドイツを牛耳った訳ではない。我慢できる庶民と無関心の庶民の「協力」があったからこそだ。ヒトラー側もそんな庶民に一時的であれ賃金増とバカンスなどの夢を実現させる事を忘れない。
 何が言いたいのかというと、「表現の自由」なんてものは当たり前のようでいて実はきっかけさえあればいつでも消滅してしまうか弱いものなのである。

 一見すると柴田英里氏の主張は古典的な自由論のようだが、私はあながち古臭くはないと思う。それよりも多様化のしんどさを私は実際に市民運動の現場で目撃・体験したので逆に佐藤剛裕氏やIkuo Gonoï‏氏それに青野忠彦氏の主張や反論の方に古臭さと短兵急さを感じる。

 今の時代、様々な民族・宗教・思想が正義を振りかざすようになった。というより昔から振りかざしているのだがグローバル化によって世界中に乱立し接触・衝突する機会が増えてきた。各々が各々の価値観に基づいて善悪を判断し悪を糾弾している状況である。
 私が学生だった80年代の時点でも既に二元論では括れなくなってきた。当時友人だった労組運動家が離婚した。彼にとっては目前の敵は国家権力や資本家だった。ところが彼の同志だったはずの彼女はフェミニズムに「目覚めて」しまい男性である彼も糾弾すべき存在になってしまったようだ。彼にとっては背後から攻撃されたような感だったろうし、彼女にとっては「最初は信頼できる男だったのにやはり他の男と同じ支配者」ということなのだろう。
 付け加えるとフェミニストの彼女はヘビースモーカーなので嫌煙派で喘息もちの私にとっては彼女も立派な加害者なのだ。高慢な理想を掲げるのであれば、ともに煙草撲滅運動に協力せよとは言わん、せめて己が卒煙するぐらい朝飯前にやれと、私は今でも彼女の志を疑い怨念に近い憤懣を抱いている。

 昨今の言葉狩りの状況を鑑みれば、もはやシンプルな加害者VS被害者、支配者VS被支配者、多数者VS少数者では括り切れなくなりつつある。
 例えばポルノは社会が全体主義に陥る際のカナリアの役目を果たしてきたのだが、一部フェミニストにとってポルノはヘイトと同様の「犯罪」である。現行法では合法でも隙あらば法改正で「犯罪」にしてしまう魂胆を持った者を複数名みかけた。「表現の自由」真理教信徒を自負する私は、フェミニストを自称する女性から何度「おぞましい」と批難されたか。
 各々が各々の正義を振りかざし、各々にとっての悪を糾弾する。そして悲しい事に各々は自分の分野外にいる他者の痛みには例外なく無頓着である。理解していると嘯く者も大勢見かけたが、それは理解しているつもりであって、多様性を主張する者に限って多様性に直面した時に馬脚を現すところを何度目撃したかわからない。
 私の保守的な価値観を批難するフェミニストが喘息もちの私に向かって煙草を吹かす行為などが典型例だろう。私に向かって「殻(保守的な価値観)を破れ」と迫りながら己は煙草を止めないのだ。

 無数にある勢力が各々の価値観に基づいた正義を振りかざし、加害表現を糾弾していったらどうなるか? 無数の正義から「加害行為」と決めつけられる事例が際限なく増え際限の無い言葉狩となる。
 それを過度か適度かを判断して実際に規制を実行するのは誰だと思っているのか?! 隙あらば全体主義に持ち込みたい国家権力ではないのか!


 柴田氏の姿勢はむしろ国家から「表現の自由」を守る闘争をする上で当たり前の姿勢だと思う。
 反原発派が「やはり当分は原発必要だから再稼働に賛成する」なんて話は聞いた事が無い。エネルギーや経済など一筋縄ではいかない考慮すべき複合的な問題が山のようにあるはずなのに、それらは無視して(あるいは運動当事者の視界に入らない)妥協せずに再稼働反対・原発ゼロを主張しているではないか。原発の脅威の前には経済の混乱など蚊に刺されたモノでしかないと考えているからだ。
  
 頑迷な姿勢の人間も多いが、同時に国家権力を相手に最初から妥協は禁物でもある事を悟っている運動当事者は行動している。表現者たちも妥協は禁物だ。
 立場が違えば「ヘイト」の意味も変わってくる。どの人たちのヘイト解釈を採用するかは絶大な許認可権を持ち隙あらば全体主義に均していきたい国家権力である。権力に言論規制の口実を与える事は危険である。


 
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[ 2017/05/06 12:05 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)
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