「羅生門」
欧米にウケたディスカッション劇の傑作。 【公開年】1950年
【制作国】日本国
【時間】88分
【監督】黒澤明 【原作】芥川龍之介【音楽】早坂文雄
【脚本】黒澤明 橋本忍
【言語】日本語
【出演】三船敏郎(多襄丸)
京マチ子(真砂)
志村喬(杣売) 森雅之(金沢武弘) 千秋実(旅法師) 本間文子[女優](巫女) 上田吉二郎(下人) 加東大介(放免)
【成分】不思議 知的 切ない 雨 平安時代 時代劇
【特徴】優れたディスカッション劇である。
黒澤明監督作品が世界で認められた意欲的作品。この作品が世界に与えた影響は大きい。
【効能】誰が嘘つきかではなく、立場によって事実が異なって見える点に留意して自分の日常と照らし合わせて観ればちょっとした社会勉強になる。
【副作用】全体に画面も物語も暗く、おしゃべりばかりなので憂鬱になるかもしれない。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
黒澤明監督、世界デビュー作。 いうまでもなく「世界の黒澤」になるキッカケの出世作である。公開当時、日本ではあまり評判は芳しくなかったが欧米にはウケた。権威に弱い日本が逆輸入の形で称揚するようになる。
2つの要素が欧米人にウケたと思う。まず、映像の美しさだ。欧米人がアジアのクリエイターに期待するのは、アジア的表現、欧米人にとっての異国情緒である。むかしYMOが欧州ツアーをしたとき、「ライディーン」などのロック調はウケず、中国風の「ファイアクラッカー」が喜ばれた。
この作品でも雨に濡れる
羅生門の廃墟で登場人物たちが世間話をする光景が評判だった。エキゾチックな
羅生門にリアルな平安時代メイクの俳優たち、それを引き立たせる雨の表現。ファンなら御存知のように、
黒澤作品の白黒映画の雨表現はカメラワークももちろん良いが、水に墨を混ぜて映えるように工夫されていた。(余談1)だから映像の美しさと東アジア的情景が欧米人の目に止まったのは想像に難くない。(余談2)
もう一つ、欧米の知識人を喜ばす要素としてディスカッションをあげる。登場人物たちが互いに主張をぶつけ合う様、鬼気迫る論争劇の末に昇華し結論を出すプロセスに欧米人は惹かれる。これはギリシア・ローマ時代から弁論が重要視されてきたヨーロッパの特徴かもしれない。(余談3)
「
羅生門」では1つの殺人事件をめぐって関係者たち全員が法廷である白洲で主張を展開する。一口に論争といっても口喧嘩的な「朝まで生テレビ」だけが論争ではない。法廷も立派な論争の場である。「
羅生門」の特色は、各々の主張はいずれも説得力があるが各々食い違う点だ。
米映画「
12人の怒れる男」では、陪審員12人の主張がぶつかり合うが、容疑者は1人であり有罪か無罪かで争っている。基本的には二元論であり単純で判り易い構成だ。しかも主役が無罪を主張しているだけに、主役の主張が群を抜いて説得力があり論争の結末は予定されたものである。日本の法廷劇や論争劇もこれに類するか、でなければ強引に正義や理想論で押し切られるのでリアリティが無く面白くない。ところがそんな日本の映画で「
羅生門」では当事者の人数分の主張があり、結論は明確にならないまま物語は終わってしまう。
しばしば「真実は1つだ」と言われているが、実は単純ではない。同じ事実でも受け止める人間の立場や利害関係で見える映像は異なる。例えば、子供の頃は広いと思っていた小学校の校庭が大人になって訪れると狭く感じた経験をもつ方は大勢いるだろう。同じ人間でも目線が変わることによって事実解釈が異なってくる。仮に子供が「広い」と証言し大人は「狭い」と言ったら、異なる情報が並列しているからといって、どちらかが嘘をついていると疑うだろうか。この程度の単純な事柄なら、普通は子供であることや大人であることを考慮して実像を推察するはずだ。
しかし「
羅生門」のように殺人事件となると話は簡単ではない。個々の立場を反映した事実解釈に加え、殺人事件に対する言い訳や自己弁護や嘘も盛り込まれる。利害を反映した事実解釈だけでも食い違うもの、同じ事象を見ているのに捉え方がこんなにも違うのかと、驚く場面は日常よくあることである。特に交通事故などで被害者と加害者と保険会社が対立する場面は典型的である。
そういう意味でこの作品は人間臭さを地味な体を装いながら劇的に表現していると言える。この手のテーマが得意であるはずの欧米人ではなく、日本人原作者と日本人監督による映画だ。
因みに「死体は語る」の著書で有名な元監察医上野正彦氏によると、法医学見地から犯人は明々白々らしい。
(余談1)他にも、木々の葉から強い夏の木洩れ日が降り注ぐ表現も評判だ。もともと絵コンテの段階では太陽光をカメラが直接捉える予定だったが、当時の機材ではフィルムが焼けてしまうので、木の葉を間に入れて木洩れ日にした。
現在の一眼レフでも太陽光を直接撮ると感光し過ぎて前後の小間に影響する。
(余談2)平安時代なので、当然のことながら江戸時代の丁髷や和装とは違う。羅生門は中国長安を手本にしていた訳だし丸首の水干を着ている人もいるので、欧米人の目には中国風に映った事だろう。
(余談3)日本では雄弁を「口達者」とも言う。「口達者」と「寡黙」を比べると、寡黙は良い意味で使われることが多いが、口達者は口先だけのニュアンスがあって悪い意味でも使われる。
欧米の映画では論争や演説の場面が多いが、比して邦画はあまりにも少ない。時代劇に至っては論述で説き伏せるよりも印籠や桜吹雪などの権威権力を使って強引に解決する。本来なら頭を使う推理ドラマでも、天地茂氏の明智小五郎のようにラストの変装で犯人の勇み足を誘う。このような国民性だから「羅生門」が日本でウケなかったのはやむを得ないかもしれない。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆☆ 秀
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆☆ 金字塔 【受賞】アカデミー賞(名誉賞)(1951年) ヴェネチア国際映画祭(サン・マルコ金獅子賞)(1951年)
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黒澤明監督、世界デビュー作。 いうまでもなく「世界の黒澤」になるキッカケの出世作である。公開当時、日本ではあまり評判は芳しくなかったが欧米にはウケた。権威に弱い日本が逆輸入の形で称揚するようになる。
2つの要素が欧米人にウケたと思う。まず、映像の美しさだ。欧米人がアジアのクリエイターに期待するのは、アジア的表現、欧米人にとっての異国情緒である。むかしYMOが欧州ツアーをしたとき、「ライディーン」などのロック調はウケず、中国風の「ファイアクラッカー」が喜ばれた。
この作品でも雨に濡れる
羅生門の廃墟で登場人物たちが世間話をする光景が評判だった。エキゾチックな
羅生門にリアルな平安時代メイクの俳優たち、それを引き立たせる雨の表現。ファンなら御存知のように、
黒澤作品の白黒映画の雨表現はカメラワークももちろん良いが、水に墨を混ぜて映えるように工夫されていた。(余談1)だから映像の美しさと東アジア的情景が欧米人の目に止まったのは想像に難くない。(余談2)
もう一つ、欧米の知識人を喜ばす要素としてディスカッションをあげる。登場人物たちが互いに主張をぶつけ合う様、鬼気迫る論争劇の末に昇華し結論を出すプロセスに欧米人は惹かれる。これはギリシア・ローマ時代から弁論が重要視されてきたヨーロッパの特徴かもしれない。(余談3)
「
羅生門」では1つの殺人事件をめぐって関係者たち全員が法廷である白洲で主張を展開する。一口に論争といっても口喧嘩的な「朝まで生テレビ」だけが論争ではない。法廷も立派な論争の場である。「
羅生門」の特色は、各々の主張はいずれも説得力があるが各々食い違う点だ。
米映画「
12人の怒れる男」では、陪審員12人の主張がぶつかり合うが、容疑者は1人であり有罪か無罪かで争っている。基本的には二元論であり単純で判り易い構成だ。しかも主役が無罪を主張しているだけに、主役の主張が群を抜いて説得力があり論争の結末は予定されたものである。日本の法廷劇や論争劇もこれに類するか、でなければ強引に正義や理想論で押し切られるのでリアリティが無く面白くない。ところがそんな日本の映画で「
羅生門」では当事者の人数分の主張があり、結論は明確にならないまま物語は終わってしまう。
しばしば「真実は1つだ」と言われているが、実は単純ではない。同じ事実でも受け止める人間の立場や利害関係で見える映像は異なる。例えば、子供の頃は広いと思っていた小学校の校庭が大人になって訪れると狭く感じた経験をもつ方は大勢いるだろう。同じ人間でも目線が変わることによって事実解釈が異なってくる。仮に子供が「広い」と証言し大人は「狭い」と言ったら、異なる情報が並列しているからといって、どちらかが嘘をついていると疑うだろうか。この程度の単純な事柄なら、普通は子供であることや大人であることを考慮して実像を推察するはずだ。
しかし「
羅生門」のように殺人事件となると話は簡単ではない。個々の立場を反映した事実解釈に加え、殺人事件に対する言い訳や自己弁護や嘘も盛り込まれる。利害を反映した事実解釈だけでも食い違うもの、同じ事象を見ているのに捉え方がこんなにも違うのかと、驚く場面は日常よくあることである。特に交通事故などで被害者と加害者と保険会社が対立する場面は典型的である。
そういう意味でこの作品は人間臭さを地味な体を装いながら劇的に表現していると言える。この手のテーマが得意であるはずの欧米人ではなく、日本人原作者と日本人監督による映画だ。
因みに「死体は語る」の著書で有名な元監察医上野正彦氏によると、法医学見地から犯人は明々白々らしい。
(余談1)他にも、木々の葉から強い夏の木洩れ日が降り注ぐ表現も評判だ。もともと絵コンテの段階では太陽光をカメラが直接捉える予定だったが、当時の機材ではフィルムが焼けてしまうので、木の葉を間に入れて木洩れ日にした。
現在の一眼レフでも太陽光を直接撮ると感光し過ぎて前後の小間に影響する。
(余談2)平安時代なので、当然のことながら江戸時代の丁髷や和装とは違う。羅生門は中国長安を手本にしていた訳だし丸首の水干を着ている人もいるので、欧米人の目には中国風に映った事だろう。
(余談3)日本では雄弁を「口達者」とも言う。「口達者」と「寡黙」を比べると、寡黙は良い意味で使われることが多いが、口達者は口先だけのニュアンスがあって悪い意味でも使われる。
欧米の映画では論争や演説の場面が多いが、比して邦画はあまりにも少ない。時代劇に至っては論述で説き伏せるよりも印籠や桜吹雪などの権威権力を使って強引に解決する。本来なら頭を使う推理ドラマでも、天地茂氏の明智小五郎のようにラストの変装で犯人の勇み足を誘う。このような国民性だから「羅生門」が日本でウケなかったのはやむを得ないかもしれない。
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☆☆☆☆☆ 秀
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆☆ 金字塔 【受賞】アカデミー賞(名誉賞)(1951年) ヴェネチア国際映画祭(サン・マルコ金獅子賞)(1951年)
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まさに日本の才能がコロボして生み出した傑作だということを思い知らされましたね。
これは海外にも、そして現代日本にも作れない映画だと思いますよ。