「ブラックジャックによろしく」
第1巻など作者サイトで無料公開 佐藤秀峰さんが、「
ブラックジャックによろしく」第1巻など計500ページの漫画をWebサイトで無料公開した。(ITmedia)
【雑感】これは凄い。けっこう大変なことだぞ。
自分のホームページで「
ブラックジャックによろしく」など漫画作品約500ページ分を無料公開、有料の漫画配信も8月中旬から行う予定か。
出版業界タジタジだな。
個人がメディアを持つ時代。 以前であれば、漫画家や小説家などの物書きが作品を発表する手段は、
出版業界に認められる事が第一条件だった。コンテストで賞をとったり、持込みで作品を売り込んだり、記者として書いたり、いずれにしても編集部のチェックが入る。編集権を持つ編集人が認めた作品を出版人が書籍として発行販売するのが従来から続くシステムだ。
もちろん、
同人誌という手も昔からあった。しかし、プロの出版会社と違って個人レベルでは使える予算が限られているし、他に生業を持っている事が多いので時間も限られる。プロの
出版業界では組織として長年培われた経験と技術があるのに対して、
同人誌サークルでは技術的稚拙さが目立つ傾向がある。
だから
同人誌といえばわら半紙のガリ版刷りのホッチキス中綴じ装丁、ページ数は30頁ほどで部数も多くて200部程度、購読者は友人知人関係者、という安っぽいイメージがあったと思う。今でも
同人誌をそんなものと思い込んでいる人間が圧倒的多数だ。
しかし90年代初頭、漫画
同人誌専門の印刷会社に勤めた時、認識は180度変化した。変化せざるを得なかった。一見するとプロの出版会社が発行したと見紛うばかりの美しいカラー刷り表紙と装丁、中にはプロとしてデビューしても、いや場末のプロ出版社よりも技術的に高レベルの画力と構成力・編集力をもった「個人」が存在していた。
人気
同人誌の中には部数がちょっとした地方のミニコミ誌会社レベルの数千部から1万部にのぼり、売り上げで所得税を払い生計を立てている者までいた。印刷会社も呼応して価格体系のスリム化を計り、個人でも小遣い銭レベルで気楽に本が出版できるシステムになっていた。
このとき、私はプロとアマとの境界線は「技術」ではないと悟った。同人誌の漫画家には売れっ子の漫画家以上の技術とクオリティを誇る人もいる。
では「収入」か? アマチュアでも金を稼ぎ自営業と同じく自分で決算して確定申告している者がいた。私はその人に尋ねてみた。どうしてプロにならないのか?と。
彼は言う。出版社が要求する締め切りが嫌で、自由に作品を発表したいから、と。そうか! 締切、締切すなわち納期に縛られているかいないかがプロ・アマの違いだ。別の言い方をすれば、出版社に隷属するか、個人で出すかの違いでもある。彼の場合は漠然と自分で締切を設定して自分の創作計画に基づき作品を発表しているので、アマというよりはやはりプロの自営業者だろう。
この同人誌業界での体験から、「一個人でもメディアがもてる時代が到来した」と私は確信した。
これが90年代初頭の状況である。今はもっと進化拡大しているはずだ。漫画用ソフトでアニメのようなくっきりした絵を画力不足の人間でも描ける時代になった。インターネットの普及でホームページなどで作品発表するようになってきた。ある大手古本屋チェーン店の新システムのおかげで、古本の価値基準が変わり新しくて綺麗な本が優先して買い取られるようになり、その影響が新刊の売り上げ減少に現れていると、小林よしのり氏が批判していた。
出版離れはますます加速していく。しかし、出版が無くなる事はあり得ない。電子媒体と紙媒体にはそれぞれ良さがある。パソコンやケータイを開けなければ見れない物と、電気が無くても今そこに物体としてある物、それぞれ良さがある。
むしろ今まで言論と表現の活動を
出版業界が事実上独占していたのが、活動の機会の一部を個人に分配されるようになった、と見てやるべきだ。
そもそもこのブログも立派な個人メディアだ。アクセス解析をすると90%は日本国内からのアクセスだが、残り10%は世界各国からアクセスである。
今後のメディアの変化が楽しみだ。
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個人がメディアを持つ時代。 以前であれば、漫画家や小説家などの物書きが作品を発表する手段は、
出版業界に認められる事が第一条件だった。コンテストで賞をとったり、持込みで作品を売り込んだり、記者として書いたり、いずれにしても編集部のチェックが入る。編集権を持つ編集人が認めた作品を出版人が書籍として発行販売するのが従来から続くシステムだ。
もちろん、
同人誌という手も昔からあった。しかし、プロの出版会社と違って個人レベルでは使える予算が限られているし、他に生業を持っている事が多いので時間も限られる。プロの
出版業界では組織として長年培われた経験と技術があるのに対して、
同人誌サークルでは技術的稚拙さが目立つ傾向がある。
だから
同人誌といえばわら半紙のガリ版刷りのホッチキス中綴じ装丁、ページ数は30頁ほどで部数も多くて200部程度、購読者は友人知人関係者、という安っぽいイメージがあったと思う。今でも
同人誌をそんなものと思い込んでいる人間が圧倒的多数だ。
しかし90年代初頭、漫画
同人誌専門の印刷会社に勤めた時、認識は180度変化した。変化せざるを得なかった。一見するとプロの出版会社が発行したと見紛うばかりの美しいカラー刷り表紙と装丁、中にはプロとしてデビューしても、いや場末のプロ出版社よりも技術的に高レベルの画力と構成力・編集力をもった「個人」が存在していた。
人気
同人誌の中には部数がちょっとした地方のミニコミ誌会社レベルの数千部から1万部にのぼり、売り上げで所得税を払い生計を立てている者までいた。印刷会社も呼応して価格体系のスリム化を計り、個人でも小遣い銭レベルで気楽に本が出版できるシステムになっていた。
このとき、私はプロとアマとの境界線は「技術」ではないと悟った。同人誌の漫画家には売れっ子の漫画家以上の技術とクオリティを誇る人もいる。
では「収入」か? アマチュアでも金を稼ぎ自営業と同じく自分で決算して確定申告している者がいた。私はその人に尋ねてみた。どうしてプロにならないのか?と。
彼は言う。出版社が要求する締め切りが嫌で、自由に作品を発表したいから、と。そうか! 締切、締切すなわち納期に縛られているかいないかがプロ・アマの違いだ。別の言い方をすれば、出版社に隷属するか、個人で出すかの違いでもある。彼の場合は漠然と自分で締切を設定して自分の創作計画に基づき作品を発表しているので、アマというよりはやはりプロの自営業者だろう。
この同人誌業界での体験から、「一個人でもメディアがもてる時代が到来した」と私は確信した。
これが90年代初頭の状況である。今はもっと進化拡大しているはずだ。漫画用ソフトでアニメのようなくっきりした絵を画力不足の人間でも描ける時代になった。インターネットの普及でホームページなどで作品発表するようになってきた。ある大手古本屋チェーン店の新システムのおかげで、古本の価値基準が変わり新しくて綺麗な本が優先して買い取られるようになり、その影響が新刊の売り上げ減少に現れていると、小林よしのり氏が批判していた。
出版離れはますます加速していく。しかし、出版が無くなる事はあり得ない。電子媒体と紙媒体にはそれぞれ良さがある。パソコンやケータイを開けなければ見れない物と、電気が無くても今そこに物体としてある物、それぞれ良さがある。
むしろ今まで言論と表現の活動を
出版業界が事実上独占していたのが、活動の機会の一部を個人に分配されるようになった、と見てやるべきだ。
そもそもこのブログも立派な個人メディアだ。アクセス解析をすると90%は日本国内からのアクセスだが、残り10%は世界各国からアクセスである。
今後のメディアの変化が楽しみだ。
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