「制服の処女」 青春回帰〔31〕
【原題】MADCHEN IN UNIFORM
【公開年】1931年 【制作国】独逸 【時間】83分
【監督】レオンティーネ・サガン
【原作】クリスタ・ウィンスロー
【音楽】ハンソン・ミルデ・マイスナー
【脚本】 F・D・アダム
【言語】ドイツ語
【出演】ドロテア・ウィーク(フォン・ベルンブルク先生) ヘルタ・ティーレ(マヌエラ) エミリア・ウンタ(オベリン)
【成分】知的 切ない かわいい 学園モノ レズビアン 1930年代 ドイツ
【特徴】厳格かつ保守的な全寮制女子高へ入学させられた主人公は、若い女教師に恋をしてしまうが・・。
ヒトラーが政権をとる直前に公開された危うい映画。ラストは傷心の主人公を守るべく生徒が一致団結して学園の支配者である堅物保守右翼な校長の権威を倒すところが、フェミニスト的。
タイトルから多くの人はポルノを連想するが、あくまで文藝作である。教師と生徒の禁断の同性愛はいたってプラトニックである。
【効能】主に女子高に通っていた事のある人には、青春を思い出させる効果がある。
【副作用】画面が暗くて陰鬱になる。ポルノ的表現を期待したスケベ親父はがっかり。
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ヒトラー政権誕生直前の革新的映画
1931年、ヒトラーが政権をとる直前にこの映画がドイツで制作・公開された。日本では昭和8年(1933年)に封切られ大好評だったそうである。しかしどういう訳か現在の知名度は同時期の「街の灯」「キング・コング」「西部戦線異状なし」「若草物語」「モロッコ」などと比べると、殆ど忘れ去られている感がある。
いま「制服の処女」のタイトルを声に出したら、ドイツ映画の古典を連想する人はまず居ない。圧倒的多数の人はポルノ映画かアダルトビデオのタイトルだと誤解するだろう。「制服の処女」の名前を冠したポルノ映画はあまりにも多い。(余談1)それに、この古典文学作ともいえる本家「制服の処女」も話の内容をそのままに、ソフトポルノへシフトしたリメイクは十分可能である。作中のヒロインが若い女教師へ激しい恋愛感情を抱く様を丁寧に描いているので、プラトニックではあるが表情が艶かしい。
ある厳格な女学校を舞台にした物語だ。出演者の殆どが女性である。ヒロインの女学生は名前に「フォン」がついているのでユンカー出だろう。(余談2)父子家庭に育ったヒロインは、厳格な父親と伯母の命令で全寮制女学校へ入学させられる。そこは良妻賢母・質素倹約の逞しい婦女子へと育てる目的の学校で、刑務所よりも厳しい校風である。制服は縦縞の囚人服のようなデザイン、白黒画像とあいまって観客にも息苦しさが伝わってくる。(余談3)
学園は老婦人の学長が支配する専制的な狭き世界、そこでは教師も生徒も服従する。その中で横顔が凛として隙の無い若い女教師が生徒の人望を一身に集める。主人公もその1人で尊敬や敬慕の情を超えて明らかに恋愛感情を抱くようになる。
ヒロインの女教師を見る眼差し、学芸会の舞台劇で女教師の視線を感じながら騎士役を懸命に演じる表情、女教師が自分の下着をヒロインへ与える場面。もうこれはレズビアンを扱った映画の元祖でもあるのではないか。
学芸会の打ち上げの席でヒロインは自分の思いを抑えられず皆の前で告白し、学園が大騒動になる。ヒロインは罰として一室に謹慎となり退学処分に処される流れるなるのだが、自殺を図ろうとするヒロインを学園の生徒全員が一致団結して守る。この生徒の友情と団結を目の前にした学長は自分が信じていた権威と権力が効かなかった事を思い知る。強大な学長が一転して杖で身体を支える老婆になっている様が良い演技だった。
ナチスが政権を掌握し全体主義へと流れていく前夜の作品である。
(余談1)美保純氏デビュー作「制服処女のいたみ」はスタンダードなロマンポルノだがお気に入りである。美保純氏は私より5歳ほど上だったから20歳は過ぎていたと思うが、当時の彼女は私と同い歳の高校生のように見えセーラー服がよく似合っていた。また長い黒髪に太い眉が素敵だ。なぜ今のファッションはむやみに眉を細くするのだろうか?
話の内容は復讐劇、美保純氏はディスコクィーンの高校生の役、親友を連れてディスコへ踊りに行くが、踊りに夢中になっている間に親友がチンピラに便所へ連れ込まれレイプされた挙句、それをネタに脅され売春をさせられる。美保純氏は親友を助けるため、ファンのサラリーマンと契って協力者に仕立てあげ、必殺仕事人のごとくチンピラを待ち伏せ討ち倒す。過激な濡場は無く、今の時代なら深夜TVでも十分放送できると思う。
おっと、当時未成年の私がなぜ観られたのか、と突っ込みをうけそうだ。
(余談2)ユンカーは、近代ドイツの官僚や軍人の担い手である下級貴族をさす。日本に例えたら明治時代の士族や華族に該当する。
(余談3)入学する直前のヒロインは、セーラー服型のドレスを来ていた。当時のセーラー服は最先端ファッションだったのかな?
ところで、このヒロインを演じた女優はヘルタ・ティーレ氏。ヤフー映画のデータでは1921年生まれとなっているが、おかしい!
作中のヘルタはどうみても10歳の少女には見えない。少なくとも高校生くらいにはなっている。ウィキペディア英語版(日本語版には掲載されていない)では1908年生まれとなっている。また、ナチスの迫害で死亡したとの噂を聞いたことがあるが、ウィキによれば1984年没となっていた。
どうも情報が混乱しているようだ。それだけ日本では歴史に埋もれてしまっている事なのか。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作
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MADCHEN IN UNIFORM ゲザ・フォン・ラドヴァニ監督 1958年
当時、可憐な美少女俳優として名高いクリスティーネ・カウフマン出演のカラーリメイク作品。
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コメント
こんにちは、はじめまして。
はじめまして
それによると…
31年、カール・フレーリヒ監督によって発見され、レオンティーネ・サガン監督の “制服の処女” に初出演。ついで “第二の人生” “クウレ・ワムぺ” (32年) “白き王者” (34年)などに出演した。
ナチが政権を取るとスイスに移住し、戦後東ベルリンに戻り演劇の指導にあたる。66年死亡」
…だそうです。
一体どれが本当なんでしょうね?
『制服の処女』関係で面白い資料を入手しましたので、その件でまたコメントさせていただくかもしれません。
すみません
私も同じ経験があります。
私も以前に同じFC2のブログ友達にコメントしたらスパム扱いになりました。クリックせず、エンターを押すとエラーが出やすい傾向があります。
お手数ですがメールフォームでお試しいただけますか?
結果的に荒らしのような形になって申し訳有りません。
ヘルタ・ティーレの生没年について異説が紹介されていたのですが(1912-1966説)、幾つかのドイツ語サイトを見てみますと詳細なフィルモグラフィーが示されていますし、1908-1984説が正しいのでしょうね。
最近、この作品に関する面白い資料を入手しましたので、年末あたり2ちゃんねるの「【邦画】レズ・百合映画【洋画】2」にて少しずつ紹介していくかもしれません。あまり連投するとけむたがれるかもしれませんが(笑)よろしかったらチェックしてみてください。
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それによると…
「1912年、独ライプチヒ生まれ。ライプチヒの舞台を経て、ベルリンの舞台に進出。
31年、カール・フレーリヒ監督によって発見され、レオンティーネ・サガン監督の “制服の処女” に初出演。ついで “第二の人生” “クウレ・ワムぺ” (32年) “白き王者” (34年)などに出演した。
ナチが政権を取るとスイスに移住し、戦後東ベルリンに
戻り演劇の指導にあたる。66年死亡」
…だそうです。
一体どれが本当なんでしょうね?
『制服の処女』関係で面白い資料を入手しましたので、その件でまたコメントさせていただくかもしれません。