NGO、NPOのための広告制作「会社」
サステナ代表マエキタミヤコ 【雑感】朝日新聞の土曜版「be」(青)の一面に市民運動のための「広告会社」というべき
サステナとその代表
マエキタミヤコ氏の記事が大きく掲載されていた。
マエキタ氏は大学卒業後、大手広告会社電通へ入社し様々な商品の広告を手がけてきた。ある日、環境保護運動関係の人々知り合ったことがきっかけで、日ごろ商業主義の楽屋裏を目の当たりにし仕事のあり方を自問自答していた彼女は次第に環境NGOやNPOの広告を手がけるようになり、2002年に「
サステナ」を設立する。
記事によると、問題意識が強い活動家・活動団体は社会へのアピールに無頓着であるそうだ。これは私も同感である。 藝大に通っていた頃、サヨク学生が配るチラシに唖然とした経験があった。わら半紙に墨一色刷り、字体・文体は70年安保闘争の頃のまま。「虐殺」「弾圧」「粉砕」「米帝国主義」といった漢字が並ぶ勇ましい文言を70年当時に使われたままの字体で書かれていた。
当時は80年代前半、既に漫画同人誌業界では自費出版漫画本を宣伝するのに、わら半紙ではなくピンクや水色の色上紙を使い、ワープロのある人はワープロ活字で、手書きでもレタリングを工夫して読み易いレイアウトにし、漫画同人誌なので当然イラストや漫画に紙面を割いている。広告媒体としての能力は遥かに漫画同人誌の人々のほうがレベル高である。しかも、驚くべきことに、そのチラシが配られていたのは早稲田や慶応ではなく藝術を専門とする藝大であり、配っているサヨク学生は一応藝大生である。
サヨク学生へのイメージが悪くなったのは当然である。
第一に、藝術を専門とする最高学府で、藝大生らしい工夫をせず旧態依然のやりかたを踏襲するだけの神経に絶望した。
というのも、広告媒体について素人であればいざ知らず、仮にも藝大生ならばその道のプロもしくはプロになろうとするアマチュアであるはずだ。それが全くできていない。何のための藝大だ。
できていない、ということは人民大衆に対して自分の主張を理解していただく意欲に欠けている動かぬ証拠である。
第二に、ちょっと反論を並べただけで、彼らは怒るか嘲笑いながら応えてくる態度が気に入らない。何のために運動をしているのか? 人民大衆の殆どがサヨクならば、学生ごときが運動するまでもなく心ある大勢の市民が動いているし、そもそも自民党長期政権なんてありえないのだ。多くの日本人が保守かあるいはサヨク思想の正当性を「知らない」から学生ごときが運動をしているのだろう。そのポジションが理解できていない。
なぜそれを理解できないのか? なぜ人民大衆に理解していただくように気を配らないのか? けっきょく心の底で人民大衆を馬鹿にし、自分たちは人民より上位の人間と思いたいのではないか、そういういかがわしい魂胆を疑うのである。
チラシ一つで大袈裟な勘繰りと思うだろうが、運動に対して謙虚になり、真に危機意識を持ち、真に世間への理解を求めているのであれば、人民大衆が関心を持つ最初の取っ掛かりであるチラシのデザインに心を配るはずだ。それができないということは、眉唾物と疑われても仕方がない。
中には日本人は馬鹿だと世情を非難する活動家もいるが、日本人は悪くない、悪いのは活動家である。
運動にお祭り・イベントとして「売り」出しTVなどを活用する広告宣伝の才に長けた辻元清美という人材が1人加わっただけで、サヨク護憲派のイメージは変わった。石坂啓氏ら漫画家が加わっただけでとっつきやすくなった。
そして電通からマエキタ氏が加わっただけで、環境NGOのイメージも変わった。
大声を上げるだけでは人の心は動かない。また大声を上げていればいずれ判ってくれることを期待するのは人の心が判っていない証拠だ。人民大衆のため、地球環境のために運動しているのではなく、運動している自分が好き、という自己愛でしかない。大衆は馬鹿ではなく、大衆に心根を見抜かれているのだ。
少し活動家を厳しく言ったのでちょっとだけフォローしよう。
私も運動経験があったので若干は判るが、非常に大変なのだ。仕事でヘトヘトになった後で、運動のためにチラシを作成したり配布書類を作ったり、運動員や協力者に連絡を入れたり、逆に運動員や協力者から相談を持ち掛けられたり、もう「身なり」に構っている余裕が無くなるのだ。いつしか考え方も硬直化してしまう。
活動家の多くも、判ってはいるが着手するだけの気力体力がない場合が多いと思う。
ブログランキングに参加しています。
- 関連記事
-
スポンサーサイト